発達障害がなんかやる

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「Show Must Go On」ってまず響きがいいよね。(人生観の話)

 どうも、スリム侍です。今日は一日の大半を布団の中でボーっと過ごしていました。

 理由は体調が悪いから…と言っても、土日あれだけエンジョイした反動と思えば当然なので、そんなにメンタルには響かずグルグルと頭だけを動かしておりました。

今日はその中でどうにか整理した「ご縁」の話…をする前の「人生観」の話です。

 

 

 

Q.貴方にとって、人生とは何ですか。

 

 この、よく耳にする質問に答えようとすると、

 

A.「演劇」でしょうか。

 

 というのが一番近くなります。

 

何かの演者だというわけでは無く「人生は演劇のような物だ」という意味で、更に嚙み砕いて箇条書きすると、

1「私の人生は何か自分の知覚できない何物かによって見張られていて」

2「その何者かによってコントロールされ」

3「娯楽的に消費されている」

となります。

「とりあえず病院に行った方がいいのでは?」って内容ですが、ここからの話を聞いて貰えば安心してもらえるはず。(病院にはもう行ってますしね)

 

 

 さて、事の起こりは私が中学生の頃。

不幸な出来事に「どうして自分が?」と思う事はよく有る事で、私も例にもれずそう思っていました。

「テストで悪い点を取った!」⇒「のは勉強しなかったからだ」

みたいにわかりやすければいいのですが「親が弟を撫でた手で自分を殴る理由」なんてものは(特に子供の自分には)難解で、答えは見つからないまま悶々としていました。

 

 

 そんな折に出会ったのが手塚治虫先生「赤の他人」という短編。自分の周りの世界が作り物だと気づいた少年が、そこから抜け出そうと悪戦苦闘するお話です。

「騙されたくなければ、それで誰が得をするか考えろ」という言葉を聞いて「俺が不幸で誰が得すんねん!」と逆ギレしていた中学生の私は、それを読んだ事で「演劇」なら「見てる人が面白くはあるんだろうな」と思うに至りました。

その後「世界5分前仮説」とか「胡蝶の夢」とか「ゼクレアトル」なんかを通ってグルグルした結果、上記の人生観に繋がった…というわけです。

 

 

 そんな訳で不幸な事があっても「今日はこういう演出かぁ」と思ったり、死にたい日に「Show Must Go on」(舞台は続けなければならない)という言葉に邪魔されたりしていたら、いつの間にかこんな年齢まで生き延びていました。

最近では、私は出不精で友人とも通話で話すだけなので「作画担当は楽をしているなぁ」なんて冗談を言って笑えるし、逆に急にデザフェスに行った日には、

 

脚本「今週末、こいつデザフェスに行かせようか」

作画「いや、書くのめんどくさいよ!!」

 

なんてやり取りを想像したりしてしました。

 

 

 まぁ、これを本当にそうだと思い込むと(もしくは本当にそうだったら…?)私も赤の他人の主人公や、ジムキャリーみたく脱出を試みなければいけないのでしょうが、思考実験的な物なのでそうはならず、書きながら整理した結果、私が言いたいのは

「全ての事に、何かしら意味はある」

という事なのかもしれません。

 

きっと私がブログをやっている事も意味があって、今日も「読んでいる貴方」と「書いている私を見ている何か」の娯楽になっているのでしょう。

「ブログを始める事」にも「ブログをやめる事」にも、「成功」にも「失敗」にも、意味がある。遠回りをしましたが書き終わってみると、今日はそんな人間賛歌でした。

 

 

 このお話がまた書きたいと言っていた「ご縁」の話に繋がるのですが、また長くなるので今日はここまで。それでは皆さんまた明日。