発達障害がなんかやる

興味のあることを手あたり次第 かじっていくブログ

ぶつかって感じた「普通の壁」の話。

 どうも、スリム侍です。

 今日は昨日(今朝)上げた記事のタイトルにあった「普通の壁」についてのお話。調子が悪い時には「どうせ」と斜に構えて考えようともしなかった節がありますが、いざ調子がよくなるような出来事・機会に恵まれると、尚の事その壁は厚いようだという事を実感しました。

 

 

 

 それではまず、何故に昨日ブログをお休みし、今朝方に「ずっこ」と呼んでいるような行為を再びする羽目になったのか、その経緯を大枠でまとめると、

 

1:一時的に新たな生活環境へ移り、できていなかった生活上必要な行為(入浴や掃除、洗濯、最低限の運動等)が出来るようになった。

2:それを数日続けることで、自分が現住居でそれができなかった理由について「100%環境のせいだ」という勘違いが発生し、自分の体力や特性に関する誤った自覚・自認が発生した。

3:その状態で1の動作を続けた結果、体力の限界を迎え、疲労の実感があったものの「普通の人なら、普通の人になりたいなら、これが出来るべきだ(出来るはずだ)」という気持ちで無理をした。

4:その状態で普段は忌避しているはずのトラウマを想起させる行為(自分の場合は入浴)を行った。

 

5:結果、解離・脱力が発生し、数時間にわたって失神(その後一時的に覚醒したものの、そのまま入眠)した。

 

という感じ。

 

感想:やっぱり精神病患者じゃん!!!

 

 自分の場合は発達障害に加えてPTSDが有るわけで、今回の不調の主たる原因は間違いなくそのPTSD…とはいえ、それを引き起こす程に疲れ果てるまで何かしらの活動をしてしまうのは発達障害ADHD)のせい。やはり二次障害でないにしても障害が複数あると治療や対処が困難にはなるんですね。

「体力不足」という見方も当然できますし、それも有る…ものの、ADHDのせいだと考えるとどれだけ体力の絶対値が増えても、例えば今が50しかないのに60活動してしまっている…とするなら、100まで増やしても110まで活動してしまうだけ…の様な気もします。

 

そんな感じで、今までそもそも身についていなかった「生活習慣」が少し身に付いたことで近づいた気がしていた「普通」も、新たに「フラッシュバック」や「解離」「体力の管理」等々、次の壁が見えるようになっただけで、かえって遠ざかった感じがするんですよね。

 

 いつになったら支援者さんが言うような、社会から提示されるような「人間」になれるのか、それともそれはあきらめて、自分の生きる道を模索すべきなのか、今が比較的関東にいるときと比べ落ち着いているので「これを機にゆっくり考えるとよい」と支援者さんにも言われているのですが、やはり答えを出すのは難しく感じています。

 

とりあえず趣味の革細工を、メルカリで売れる程度のものが作れるまでは頑張ってみようかな、なんてことを考えていますが「これも現実逃避では…?」という思いもぬぐい切れず、無限ループにとらわれています。

 

最終的にはいつも「宝くじで5億円が当たればいいのに」というところに着地して、今日も眠ることにしましょうかね…。

 

今日は少し暗い事を言ってしまいましたが、これも一つのありのまま…?
明日はまた、何か楽しいことをかけるように頑張りますね。

それでは皆さんまた明日。