発達障害がなんかやる

興味のあることを手あたり次第 かじっていくブログ

ASD・ADHD的?大人になっただけ?時代の変化?

 どうもこんにちは、スリム侍です。

 先日昔話を書きながらふと「ず~っとゲームは続けているけど、ゲームの遊び方は全然変わったな」と気づきました。てっきりそれは「自分がASD優位からADHD優位に変化したからだ」と思っていたのですが、よくよく考えるとそれは違うような気がしてきました。

 それについて考えていて色々と思ったことが有るので、今日はそれを(あまりまとまってないかもですが)書こうと思います。

 

 

 昔はどんなゲームを、どんなふうに遊んでたっけ?と思いだしてみると、小学校の頃にはスーパーファミコンの「FFVI(6)」とか「新桃太郎伝説」とかを、データが何回消えても最後まで行くんだ!と繰り返しプレイしてクリアした思い出があります。

 片や今はたくさんのゲームからどれを遊ぶかを悩み、昨日遊んだゲームと今日遊んだゲームが違うという事もしばしばで、片手でソシャゲを回し、PCでは長大なシミュレーションゲームだったり、高圧洗浄だったり、RPGだったりをしている。といった感じです。

 

 昔話を書く前は記憶がおぼろげで「自分の性質が変わったんだなぁ」ぐらいにとらえていたのですがしっかり思い返してみると、持っていたのはもう供給がないおじさんからもらったSFCのソフトとか、年に数本しか買えないDSのソフトとかで、全部合わせても10本ぐらいしかない。「そもそも持ってた本数が違う」し、特に後者はお店でパッケージとにらめっこして選んだソフト。「そりゃ最後まで遊ぶ熱量も違うよなぁ」という事に気が付きました。

 

 今はサブスク全盛で月1,000円でゲームも映画もたくさん楽しめますし、なんだったら無料配布してるようなサイトも多いですよね。自分で買う自由もは子供の頃よりありますし、少なくとも「年に3タイトルしか遊べない」ようなことは、これから先はありえなさそうです。

 

 そしてここまで考えて一つ気付いたことが、
 「これは「性質の変化」ではなくて「環境の変化」なのでは?」
 という事。

 

 先ほども言ったように今はサブスク全盛で且つコンテンツ過多の時代。個人が発信できてコンテンツを作れる時代、という事を指して「一億総クリエイター時代」なんて言葉も見かけます。(YouTubeとか、このブログもそうですよね)プロの作品も減るわけで無し、どんどんと多様なコンテンツが増えていっている。

 そんな中で「映画を倍速視聴する人」とか「テレビを見ながらゲームをして、動画を見る人」とかそんな話がテレビ・SNSで流れてきます。あれを見て私は「あぁADHDみたいだぁ」と感じた事が有ります。倍速視聴はしないのですが、つまらない映画なら気持ちはわからなくも…と思いますし、ながらで色々見るのは動画の種類によりますが頻繁にします。なので揶揄するわけじゃなく少し親近感を覚えつつそう思ったんですよね。

 

 こと発達障害の行動面での特性は(勿論生来の性質はありきですが)環境に左右されることも多いと、普段生活していて感じています。そう考えると特にコンテンツをシャットアウトせずに進んで摂取している、という人に限って言えば(少し飛躍しますが)「世の中はどんどんADHD的な適応・変化をしているんじゃない?」なんて思ったりするわけです。

 

 現ADHD優位としては一部分でも世の中が近づいて来てくれる分には 助かる事この上ないですし、逆にASDの部分を活かせればより強みになるんじゃないか?!と肯定的に捉えつつ、学生の頃考えなしに考えていた「世の中皆が発達障害になったら差別なんてなくなるんや~」という思想が(あくまで一部分でも)「もしかするともしかするんじゃ…!?」という、今日はそんな空想話の書き散らしでした。

 

 

 さて、今日はここまで昔話+空想話にお付き合いいただきありがとうございました。こういう話を考えるのだけは好きなので、また色々と勉強した上で書いていきたいなぁと思います。(でも堅苦しい話ばっかり書いてもあれだから、たまにで!)では皆さん、また明日。