どうも、スリム侍です。
今日ものんびりSpotifyで小島監督のポッドキャストを聴きながら、本を読んだりゲームをしたりしています。
基本ベッドの上でゴロゴロしながらそんなふうに過ごしていると、以前里親さんのお家で暮らしていた頃の事を思い出したので今日はその話をします。
さて、それは私が中学生の頃、父親にどつかれ、また負けじと私も父親をどつき返していた頃。児童相談所の介入で児相→里親→孤児院
→病院と転々としていた時期が半年程ありました。(ASDの診断がついたのはこの時)
辛い記憶なせいか、ずっとこの頃の記憶が曖昧だったのですが、似た状況に置かれた事でその一部が沸々と蘇ってきた訳です。
私が半月ほど生活を共にした里親さんは、陶芸家さんで農家さんのご夫婦。2階の奥の部屋が一旦の自室ということになったのですが、その部屋にはラジオと漫画が用意されており、ネット等は無し。当時、親や家族と連絡を取れない様にするため、ネット回線等は極力排除された環境になっていると説明を受けました。(言われてみれば当然かもしれません)
なので私は日中は農作業を手伝ったり、里親さんの「工芸仲間」の集まりに参加させてもらったりして、夜はラジオを聴きながら漫画を読む、というふうに過ごしていました。
この「工芸仲間の集まり」も今思うとすごい所で、車に乗って広ーい空き地みたいなところに行くと、小さな小屋が点々と有り、それぞれがいろんな職人さんのアトリエになっているという、夢の様な場所。私は確か銀細工の指輪職人さんの作業をず〜っと見ていたきがします。
今思うと多様な「工芸」に触れたのはあれが最初な気もしますし、今自分がものづくりやってみよーっとなる為の一つの経験でした。
そんな訳で数日暮らしていましたが、結局は慣れない環境だし、自分が置かれてる状況がそもそも不安定だし「自分はジャンプができないスーパーマリオなんだ!最初のクリボーで死ぬしかないんだ!」と喚きながらビャンビャン泣き出してしまい、優しく慰められつつ時期が来たので次の場所へ。
思い出してみると(自分があまりにどうしようもないこともあって)良い人達だったなぁと感じ、少し何かが違えばあの人達の所で成長する自分も居たのかなぁなんて思ったりもしますが、まぁ考えてみても詮ない事、少し面白いだけの空想ですね。
遠い奈良のお二人と、再びご縁が繋がることは奇跡でもなけりゃないのでしょうが「陶芸」と「銀細工」と「ホワッツマイケル」の思い出を拾い直して、今の自分で生きていこ〜なんて思いました。
オチは何もないよ!以上です。
今回もありがとうございました。
それではみなさんまた明日。