発達障害がなんかやる

興味のあることを手あたり次第 かじっていくブログ

スリム侍の昔話:その2

 どうもこんにちは、スリム侍です。

 今日も昨日の続きなんですが、「過去の自分」って今の自分と地続きなのに、少しだけ別人のような感覚があるおかげか、多少客観性を持てているような気がします。


 昨日は幼稚園まで書いたので、今日は小学校入学辺りから。6年もあるので卒業までの事を細かく書く予定です。ここからどんどんトラブルが増えたり、専用のクラスに通ったりといったエピソードが増えてきます。

 

 

★1:入学前

 この頃、弟が生まれ母の手はそちらにかかりっきりに。(この事に不満はない。当然だと思う) 時を同じくして父が精神的な病(のちに躁鬱病と聞く)で休職。なので弟は父が働いているのを見た事がない。という具合に、一気に環境が変わりました。この時すぐに何かが変わった、という事はないのですが、思い返せばこの辺りから慌ただしくなったなぁと思っています。


 父が病んだ原因は、弟が生まれた事、前述の宗教の行事が忙しかったこと、当時の政治の影響で公務員ではなくなった事等々、プレッシャーが重なった結果だと後に本人からは聞きました。自分自身も小学校入学する際に隣の県の、通学に毎日1時間半かかる宗教団体の小学校にお受験させられましたが、落ちたので家から徒歩2分の公立小学校に入学しました。(落ちた理由は「通学に時間がかかりすぎるから」そりゃそうやろ)

 

★2:入学後 小学校前半1~3年

 無事小学校に入学し、幼稚園の頃1年程未就学児用の教室に通っていたこともあってか、勉強に支障をきたす事はありませんでしたが、他ではトラブル続き。引き続き太っていたこともあって、いじめ嫌がらせのオンパレード。(+過剰防衛のオンパレード)通知表は座学科目は全部「よくできました」なのに、実技系科目(特に体育)と学校生活についての欄は全部「がんばりましょう」でしたし、先生のコメントはいつも「皆と仲良くしましょう」でした。


 今と変わらず客観性に欠けた子供で「なぜこの問題が解けないのか」「なぜ授業中に静かにできないのか」と常々思っていました。障害に関する知識も(もちろん自覚も)ないので、知的障害のある児童に突然殴られ喧嘩した際に自分だけが怒られた事で「障害のある子はズルいなぁ」とまで思っていました。この時点ではADHDというよりは、ASD的な特性が強く出ていたような気がします。

 

★3:小学校後半4~6年

 この時期から、隣の小学校で開かれていた「仲良し教室」のような場所に週1回行くことになりました。おそらく支援級に移るほどではない発達障害の児童向けの教室だったのですが自分自身には知らされず「友達と仲良くできるようになるよ~」と言われ通い始めました。ただ特段「みんなと仲良くなりたい!!」と思っていたわけでは決してなく、その教室が有るのが金曜日の午後だったことで「体育の授業に出なくてよくなる!」というのが主な動機でした。

 内容としては「こういう時どうする?」というプリントを一杯解いたり、ロールプレイをしてコミュニケーションの訓練をしたり。とはいえ自分の意識としては「治療・療育」とかじゃなくて「勉強・問題」だったので「パターンを覚えて100点をとる」という事だけに注力していました。おそらくあまり意味がない取り組み方な気がします。

 

★4:図書委員

 後はこの時期になると委員会が始まりまして、読書が好きだったので図書委員に。6年生になった時は順当に図書委員長になりました。主な仕事は貸出管理と本の修復なんですが、たま~に図書室で騒いだり、本を乱暴に扱う子たちがいまして、そういう子たちに注意するのも一応のお仕事、という事になっておりました。

 まぁ大抵の子は注意すると改めてくれるもんで、低学年の子でそもそも決まりを知らなかったり、本を扱いなれていなくて破いてしまった、というような子が大半でした。

 しかし悪い事にあこがれる時期でもあるのか、わざわざ図書室に暴れに来るような子たちもおりまして、特に数人のグループで図書室に来て本を投げたり大声で騒いだりはいつもの事。先生に言って怒ってもらっても来るし、辞めないし、出入り禁止!とは学習の権利が云々で出来ない。といった具合に先生もどうした物かと困っているような子たちがいました。

 彼ら悪ガキグループは、同時にいじめっ子グループでもあったのでもちろん私は当時彼らの標的。図書室外で嫌がらせを受け個人的恨みもありました。且つ先生も困っている。そして図書室は私の数少ない居場所で、図書委員長という児童の中では図書室を守らねばならない立場。他の図書委員も困っているぞ!と変な方向に正義感が突っ走った私は、彼らを図書室からたたき出すことにいたしました。首根っこをつかみ図書室から強制退去、彼らが壊した本を直しつつ、無理やり入ろうとするもんなら実力行使。といった事を数か月続けていると、彼らが来なくなったのと同時に私のあだ名は「図書室の守護神」になり、それと同時に怖がられるようにもなりました。(図書室前で毎度グループ相手に大立ち回りを繰り広げていたらそりゃ目立ちますわね。)

 

★4:まとめ

 一言でいえば「独自のルールで他の児童と衝突を繰り返す子供」でした。この時点では既に、周りの大人の間では発達障害を前提として支援が組まれていたようなのですが、私自身はそれを知らず、それを知るのは数年後、中学校半ばになります。その体制になった際、担任になった先生も発達障害支援を専門に学んだ先生だと後から聞いたのですが、その先生に言われた「怒る理由は正しいけど、怒り過ぎ・対処を間違えている」という言葉が未だに頭に残っています。

 

 次回以降は中学校編になる予定ですが、ここから先は思い出すのが少ししんどい出来事が多いので、書くのに時間がかかるかもしれません。自身が発達障害だとわかって色々調べたり、考えたりと今の考え方の根っこができた時期だと思っているので、遅くなっても書こうと思います。

 

 今日は特に長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

 それではまた明日。