発達障害がなんかやる

興味のあることを手あたり次第 かじっていくブログ

スリム侍の昔話:その1

 どうもこんばんは、スリム侍です。

 昨日準備も終えたので、いざ自分の事を書くぞ!と机の前に座ったはいいものの、これがなかなか難しく何にも思い浮かばない。友人が言っていたのは「趣味」や「出来事」ではなく「人となり」や「考え方」を多少語ってみては?という事なんだと思うのですが「自分の考え方・性格はこうです!」みたいに言えるほど客観性を持ち合わせていないことに、改めて直面しています。

 

 この時間まで頭をひねって、結果自分でも自分がわからないという事がわかったので、今日の所は今の自分を形作っている(であろう)過去の事でも喋りながら、自分について考えようと思います。まずは出生~幼稚園卒園辺りまで。(発達障害バリバリの子供だったので、療育・育児の参考にはなるかも?)


★その1:出生~乳児期

 関西の田舎に生まれた私は、母によれば病院で一番体の大きい赤子だったそうです。星座の変わり目の日の、深夜0時付近に生まれたせいで、母の「深夜加算がかかって困った。もっと早く生まれてくれたらよかったのに」という愚痴を一生聞くはめになるという事と、星座占いを2種類見ないといけない運命が確定したのがこの日です。

 

 上の兄が死産だった事から、生命力あふれる寿限無のような名前をもらい、スクスクと平均よりは大きな子供に育ったのですが、これは後に色々な場所で他の子どもとけんかする際に牙をむくことになりました。

 

★その2:幼稚園

 この時母は専業主婦だったので、近隣の幼稚園に入ることになりました。入園前に「母親の集い」的な場所で知り合いになっている子もちらほら、といった具合でしたが、既にこの時彼らとはたびたび衝突を繰り返し済みで仲が悪く、この後も繰り返し続けることになります。

 自分自身は本を読んだり、ただただ高くブロックを積み上げたり、そういう無害な遊びをしていたと思うのですが、当時自分が周りの子より、縦にも横にも大きかった(ありていに言えばデブだった)せいなのか、単に何か違うと感じとられて気に食わなかったのか、はたまたそれ以外の気付いてない原因が有るのか、まぁまぁよく嫌がらせの標的になり、その結果過剰防衛気味に反撃し、揃って怒られる、というようなことを繰り返しておりました。(ただ、どうして自分より体が大きい相手にケンカを売るんだろう…?とは当時から思っていたし今でも疑問に思っています。

 

 上の遊びの例に出なかったことから察してもらえるかもしれませんが、この時点で「はないちもんめ」とか「おにごっこ」とかそういう皆での遊びは、体を動かすことが苦手だったことも含めて苦手意識が有り、基本不参加。それで「輪に入ってないやつ」認定されたのかもしれません。

 

★その3:幼児期その他

 上の話から印象としては「町の暴れん坊」的な立ち位置だったのかと思われるかもしれませんが、どちらかというと大人からの心証はよく、近所を歩けばキュウリや使わなくなった三輪車が集まり、両手に野菜を抱えて帰ってくるというようなこともよくありました。

 理由は京都人の祖母からの厳しい教えで、幼稚園児なのに敬語が使えた事と、家の宗教の都合で「座談会」なるものに連れていかれることが有ったのですが、きちんと正座ができた事。この2つが多分に影響しているような気がします。(今は実家から離れ、宗教とは距離を置いている)祖母はなんというか「京都の人」と聞いてパッと想像できるような人となりで、礼儀・言葉遣いに厳しく、私が中学生になるまで「俺」と言っていたら、ただこんこんと叱られる。そういう方でした。当時は怖かったのですが、思い返せば確かに大事な事ですよね。

 

★その4:一旦まとめ

 総合すると周りの子供からは「変な奴/暴れる奴」家族からは「手のかかる子供」周りの大人からは「礼儀正しい子」という、一見両立しなさそうなイメージでとらえられ、この数年後に「発達障害」という答えが見つかるまでは「捉えどころのない子」と見られ続けることになります。こう思い返すと「ここでわかっていれば」と思わなくもないですが、時代故に仕方なかったか…とも思っています。

 

 幼稚園を卒園する頃に弟が生まれ、また自身を取り巻く環境も大きく変わっていったので、その辺りはまた次回以降に話そうと思います。