発達障害がなんかやる

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名刺と呪い、名刺交換という儀式について。

 どうもこんにちは、スリム侍です。

 支援施設でのプログラムに使うテキストを予習していた所「ビジネスマナー:名刺交換」のページに「名刺はその人の分身という意味合いもあるので、丁寧に扱いましょう」という文言を見つけました。 

 

 私は名刺交換をした経験がなく「そんな大げさな…」と常々思っていたのですが、よくよく考えてみると「名前と出自・所属を詳細に書き記した札」と捉えると「呪術的に(分身と言ってもいい程度には)意味を持ちそうだな?」と思うに至りました。今日はそんな話。

 

※呪術・オカルト・文化人類学その他諸々、めっちゃ詳しい!というわけでは無い事は前もって断っておきます。

 

 では本題。そもそも名前が呪いにおいて重要な意味を持つのは周知の事実。ポピュラーな所でいうと西遊記の瓢箪とか、デスノートとかがわかりやすいでしょうか。対処法として偽名を使って「真の名前」が知られないようにする事例はフィクションにもリアルにも例があるようです。しかも最近はマスクが常なせいか「写真付きの名刺」なんてのもあるそうで、そんなもんノート所有者の手に渡ったら一発アウト。

 

 「でもデスノートは存在しないんだから安心じゃん!」

 

 そういう訳にはいきません、パッと考えただけでも「火にくべる」「釘を打つ」「重りを付けて沈める」「枕の下に入れる」等々…。只の人間にもできる呪術・お呪いは色々あるもので、それも「呪いたい側が勝手に作った藁人形・お札」より「本人からうやうやしく渡された名刺」の方が何というか縁の力が強そうで、よく効きそうです。(経験がない私には「名刺交換のマナー」と言われると、一種何らかの儀式のように感じるんですよね)

 

 他にも「名刺=本人」と考えるなら例えば「社員の名刺全てを水槽に投げ入れて、最後まで浮かんでいた奴を次の社長にする」みたいな占いとか「不祥事が起こったときに、名刺を火にくべて燃えなければ無罪」みたいな盟神探湯もどきが行われていてもおかしくないのかも…?と考えたりもしましたが、流石に中世まで科学力が後退しなければそんなことは起こらなさそうです。

 

 ここまで考えると、海外の人にちょっと盛って「日本では爪を粉末状にして混ぜ込んだ紙で名刺を作ってくれるサービスが有るんだよ。自分の魂を分けた名刺を預ける事で、全幅の信頼を示すんだ」とか言っても「Oh!It's crazy!」みたいなテンションで信じてもらえそうな気もしますし、これは海外の人と話す機会が有れば試してみたい所。(ジャパニーズトラディションにないかな?と思ったけどなかった…)

 

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 さてそんなわけで色々と書いてきまして、結論として言いたいことは「嫌いな上司・取引先の名刺を手に入れて釘を打とうぜ!!」…というわけではなく「こういう理解の仕方をすれば、最初の文言も理解しやすいな」という事。自身と相手の「名前」を扱うという行為への畏怖・畏敬の念。そういう日本人、ひいては人類共通の心が「名刺は分身。丁寧に扱うべき」というマナーの根底に息づいているのではないか。そう思うと「そんな大げさな」と思っていた私も「おおそりゃできるだけ丁寧に扱わないとだ」と思いなおす事ができる、という訳です。

 

 考えすぎかもという気もしますが「それがマナーだから」では飲み込めないのが私達発達障害者。「これを粗末に扱うと相手の人が不幸に陥るから」という理由でも「だから、丁寧に扱う」という表出する部分が同じならできないよりはいいはず。こんな風に色々回り道をしながら「不思議だなぁ」「理解できない!」と思うマナーやルールと折り合いをつけて生きています。

 

 

 最後に、パッと調べて見つからなかったので「名刺を使ったお呪い」や「名刺関連の怖い話」後は「名刺に関する歴史」とか、詳しい方いたらもしよかったら教えて頂きたいので、コメントお待ちしております。他にも名刺・名刺交換に関するエピソード?とかあれば一切経験ない自分にご教示いただけると幸いです。

 

 それでは、ちょっと長くなりましたが、今日も読んで頂きありがとうございました。

 皆さんまた明日。